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奇石とは?

「奇石」という言葉を耳にしたことのある方は、ほとんどいないと思います。
たまに、心配そうな声をしたお母さんから「子供に見せても大丈夫ですか?」 という質問も電話で受けますが・・・全く問題ありません。
聞き慣れない言葉で誤解されますが、「奇石」とは読んで字の通り“奇妙な石”のことで、 普通の石とはちょっと違った石のことを「奇石」と呼んでいます。
例えば、下の左の写真はお饅頭か団子に見えませんか? 下の右の写真は原石とその石を切断した断面なのですが、 何か花びらの模様に似ていませんか? このように、普通の石とはちょっと違った石のことを「奇石」と呼んでいます。
饅頭石 桜石
もちろん、「奇石」という言葉には謂われがあります。江戸時代、木内石亭(1724~1808)という博物学者がおり、 彼の著した日本で最初の石の専門書「雲根志」の中で盛んに使われた言葉でした。(下記写真参照)
雲根志 ※「雲根志」の雲根とは、中国の古語で「石」を意味します。 湿気を含んだ空気が冷たい石に触れることにより水滴となることから、石は雲の基と考えられていました。 つまり、石が雲の根(雲根)と考えられていたからです。
ちなみに、雲母という鉱物も雲を産む母体だと考えられていたので「雲母」と呼ばれるようになりました。
この「雲根志」には桜花が石になったようなもの(桜石)、振るとコトコトと音がする鈴のような石(鳴石・鈴石)、 天狗が残したかと思える爪のような石(天狗の爪石)、饅頭石や石燕などの面白い石や産出状況などを「奇石」として紹介し、 さらに「食べ物にちなむ奇石」「動物にちなむ奇石」などのように石の分類までされています。

現在のような鉱物学や岩石学の分類とは違い、見た目の視点による分類がされていますが、 これは大変素朴できっと誰もが共感できる見方であったと思われます。

また、江戸時代の中期頃(1751年頃~)になると、石に興味を持った人たちが奇石会 (当初は物産会だったが後に分離独立)という交流会を開きました。 そこでは、不思議で奇妙に感じる石が持ち寄られて展覧され、交換などがされていたようです。 (ちなみに、当館の名前はこの奇石会からとって奇石博物館となりました。)
この奇石会を催した人物こそが、木内石亭その人です。彼は近江国(今の滋賀県)で生まれ、 11才の頃から石を集め85才で亡くなるまでの約70年間、 日本各地から様々な石を集めました。その総数は約2000点にもなったそうです。 今のように電車や自動車などがない時代に徒歩や馬などで日本各地を旅したのですから相当苦労したことでしょう。
木内石亭
人間には共通して美しいものや不思議なものに惹かれる性質があります。 「奇石」には、これまで石に無関心であった人々を関心から愛好の状態に引っぱり込む特異な魅力があります。

当館では、この「奇石」の魅力を糸口にして、とっつきにくい岩石や鉱物、地学のことを見直してもらいたく 1971年に日本で最初の「石の博物館」として開館いたしました。

当館には、ここにご紹介しました様な「えっホントに!」と思われる変わった石が沢山あります。 ご紹介しました石から何となく「奇石」の事がお分かり頂けたと思います。つまり、 当館でいう「奇石」というのは、素人の方が見て不思議さや感動を感じさせてくれる石たち の事なのです。

当館の展示は、鉱物学などの専門的な分類(元素鉱物や珪酸塩鉱物などの分類方法)と異なります。
上記の「雲根志」を基にした「見た目の視点による分類」を中心に展示しており、 「食べ物にちなむ奇石」や「植物にちなむ奇石」などとケースごとに分けて展示しています。